東京・中央区の明石町から築地にかけての一帯は、近代日本の教育機関が数多く誕生した「学校発祥の地」として知られています。現在は静かな住宅地や医療施設が中心のエリアですが、明治期には外国人居留地が置かれ、西洋文化とともに新しい教育が導入された場所でもありました。
明石町は明治時代に外国人居留地として整備され、キリスト教系の学校や私学が次々と設立されました。この地には慶應義塾の初期の教育活動のほか、立教学校、明治学院、女子学院、青山学院などの源流となる教育機関が集まり、日本の近代教育の重要な拠点となりました。多くの学校はその後、発展に伴い現在のキャンパスへ移転しましたが、明石町・築地は私学教育の出発点のひとつとして位置づけられています。
また、この地域は軍事教育の歴史とも関わりがあります。明治初期には海軍兵学校がこの周辺に置かれ、近代海軍の人材育成の拠点として機能しました。海軍兵学校は後に広島県江田島へ移転しましたが、築地は日本の近代教育と人材育成の始まりの地として重要な役割を果たしました。
現在の明石町には、聖路加国際大学を中心に医療・看護教育の拠点が置かれています。聖路加国際病院とともに形成される医療教育環境は、歴史ある教育の地としての性格を今に伝えています。周辺には公園や歴史案内板なども整備され、かつて多くの学校が誕生した地域であることを示しています。
明石町・築地エリアは、現在の大学街とは異なり、日本の近代教育が芽生えた歴史的な文教地区といえます。本郷や早稲田などの大学集積地へと発展していく前段階の教育拠点として、東京の学びの歴史を語る上で重要な場所となっています。