
女子大学の主な創設者たち:“女性のための学びの場を”と立ち上がった創設者たちの思いは今も、生き続けています。いまある大学は、当然ですがそれぞれ誕生の歴史を持っています。ご紹介する女子大学は、まだ女性の高等教育が限られていた時代に、「女性にも広く学ぶ機会を」と願って設立され、その思いは今も教育の現場で受け継がれています。 |
大学名リンク
学部学科情報(日本の大学)をリンク、大学のいまの教育が分かります。
十文字学園女子大学 ★
十文字こと
教育者として、子どものための保育者育成や、女性の社会的自立に尽力。「もっと勉強して活躍したいと願う女性が一人でも多く学び、社会で羽ばたけるよう、なんとしてでも立派な学校を作りたい」という大志を抱きました。出身地:京都府。
十文字学園は1922(大正11)年に設立されました。学園の歩みと現在については、「十文字学園100周年記念サイト」をご覧ください。
津田塾大学 ★
津田梅子
創立者・津田梅子は女子教育の先駆者です。女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じて、「男性と協同して対等に力を発揮できる女性の育成」をめざし、女性の高等教育に生涯を捧げました。出身地:東京都
1900(明治33)年、津田梅子は、私立の女子高等教育における先駆的な機関の一つである「女子英学塾」を創設しました。2020年、津田塾大学が創立120周年を迎えました。
東京家政学院大学
大江スミ
「人々のしあわせにつながる家政学」の実践を目指しました。生活の知を通じて、女性が社会で自立できる力を育てることを目指しました。出身地:長崎県。
東京家政学院大学のルーツは、1923年(大正12年)に大江スミが設立した女子教育機関「家政研究所」にあります。
大妻女子大学
大妻コタカ
実践的な学びと品格を大切にする教育で、多くの女性リーダーを育てました。制定した校訓は「恥を知れ」。出身地;広島県。
大妻女子大学のルーツは、1908(明治41)年、大妻コタカが自宅で裁縫・手芸を教える家塾を開いたことにさかのぼります。女性たちに実用的な知識と技術を身につけてほしいという強い思いから始まったこの学びの場が、やがて多くの女性を育てる学園へと発展していきました。2018年、大妻学園は創立110周年を迎えました
跡見学園女子大学
跡見花蹊
明治期に「自立した女性」を理想に掲げ、文学や芸術を通して女性の感性と知性を育む教育を行いました。出身地:大阪府。
跡見学園女子大学は、1875(明治8)年、跡見花蹊が女子の学びの場として「跡見学校」を開校したことから始まりました。日本の近代教育が始まったばかりの時代に、女性の知性と品性を育むことをめざしたこの取り組みが今日の学園へとつながっています。跡見学園は2025年1月に創立150周年を迎えました。
実践女子大学
下田歌子
明治期に「自立した女性」の育成をめざし、実学・礼法・文学など幅広い教養教育を重視した教育を展開しました。出身地:岐阜県
実践女子大学のルーツは、1882(明治15)年、教育者・下田歌子が女性の自立と社会参加を願って創設した「桃夭学校」にあります。実学を重んじたその教育理念は、現在の実践女子大学にも受け継がれています。
和洋女子大学
堀越千代
明治期の女性教育者として、和裁・洋裁の融合をいち早く教育に取り入れ、実用と教養を兼ね備えた女子の育成を目指しました。出身地:岩手県
和洋女子大学は、1897(明治30)年、堀越千代により「和洋裁縫女学院」として創設されました。着物から洋服へと時代が変わる中、実践的な衣生活の知を女性たちに伝える学びの場を切り拓きました。2017年、学園は創立120周年を迎えました。
川村学園女子大学
川村文子
大正期の社会不安の中で女子教育の力を信じ、「感謝の心」「女性の自覚」「社会への奉仕」を柱に川村女学院を創立。出身地:秋田県
1924(大正13)年、川村文子は関東大震災後の混乱の中、「社会の再建には女子教育が不可欠」との信念から「川村女学院」を設立。知識や技芸はすべて人間を育てるための手段であるという理念のもと、社会に貢献できる女性の育成に力を注ぎました。その精神を受け継ぎ、1988(昭和63)年、川村学園女子大学が開設されました。
掲載校
女子大学の創設者には、全国に多くの関係者が関わっています。本ページでは、その中から一部の大学を取り上げてご紹介しています。その他の大学については、女子大学一覧ページもご参照ください。
校名表示順位;
協賛校上位、以下、登録順
情報の最終確認日
掲載内容は2025年4月時点での情報に基づいています。
編集後記|
女子大学のはじまりをたどる今回の特集で感じたことは、女子教育を拓いた創設者たちは、まさに“アントレプレナー”と呼ぶにふさわしい存在だったということです。制度も支援も整っていなかった時代に、「女性が学べる場を自らの手でつくる」——これは単なる教育活動ではなく、先駆的な社会起業そのものでした。自らの願いを社会にかたちとして残す、その決断と行動力に、今あらためて心を動かされます。
現代では、政府もまた、多様な価値をもつ人材の育成や、分野を越えた価値創造を進めるアントレプレナー育成を掲げ、社会起業への支援政策を展開しています。もし、十文字こと、津田梅子、跡見花蹊といった創設者たちが今の社会を見たら、どんな思いを抱くでしょうか。想像がふくらみます。
一方で、創設者たちが生み出した“学びの場”が、100年近い年月を経て今もなお続いていることには、深い敬意を抱きます。
その志が制度となり、文化となり、今も学生たちの学びを支えている——その事実は、決して当たり前ではなく、教育という営みの尊さを物語っています。
また、明治や大正時代に創設された学校の中には、今ではその名を聞かなくなったところもあるかもしれません。教育を続ける力と、学校を続ける力は、車の両輪のようなものだと感じます。2025年春、短大の学生募集停止情報を多く耳にします。
創設者たちは“その時代”の挑戦者でした。
ナレッジステーションもまた、インターネットを通じて学校情報を届けるポータルサイトとしての挑戦を続けています。そう思うと、十文字ことや津田梅子にも、なんだか親しみがわきます。もし会えていたら「こんにちは」と挨拶していたかもしれません。
ナレッジステーションの「学びトラベル出発駅」からは、今日も「頑張れ受験生号」が走り続けています。(編集T)
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